中国残留孤児と北朝鮮拉致被害者
今日、兵庫県などの中国残留孤児65人が、日本への早期帰国や帰国後の自立支援を怠ったとして1人当たり3300万円の国家賠償を求めた訴訟の判決が神戸地裁であり、「国は自立した生活を営むことができるよう支援する義務を怠った」と認定し、総額4億6800万円の支払いを国に命じた。孤児は戦争によって取り残された戦争被害者なのだから、これはこれで当然のことだと心底思うが、彼ら中国残留孤児の人たちの言い分の一つに、北朝鮮拉致被害者との比較がある。確かに国民を守る義務がある国が国民を守れなかったのだから、これははっきり同じ理屈だ。

国は拉致被害者に対しては2003年1月、生活基盤の再建を目的に拉致被害者支援法を施行し、永住帰国者に五年を限度に単身世帯で月額17万円、二人世帯で同24万円を支給し、三人目からは一人当たり3万円を加算。生活相談や住宅供給の促進、雇用、教育機会確保なども盛り込まれた手厚い内容だ。これに対し、残留孤児の永住帰国では、自立支度金として一人当たり約32万円が一回だけ支給される。帰国から六カ月間は日本語や生活習慣の指導を受けられるが、その後も仕事が見つからず、生活保護に頼らざるを得ない孤児が多い。
 国外にいて納付できなかった国民年金も、国庫で全額負担される拉致被害者に対し、孤児の場合は三分の一程度を支給する特例措置にとどまるなど開きがある。判決は「(孤児に対する)支援策は極めて貧弱。生活保護の受給期間を永住帰国後一年をめどとする運用がなされ、関係者は日本語が十分身についていない孤児に強引に就労を迫っていた」と指摘した。

確かにこの落差は尋常ではない。僕は何も拉致被害者が手厚すぎる、と言っているのではない。言いたいのはあくまで双方の落差だ。なぜこれだけのあからさまな落差が生じたか。それは国がどちらを必要としているかである。これに尽きるだろう。

今、国にとって北朝鮮拉致被害者は国際問題、国内問題とも優位に進めるための非常に重要なカードになっている。それは北朝鮮そのものを追い詰めるための、それは東アジアあるいは国内において靖国問題とすりかえるための、それは日本がかつては加害者だったが今は被害者だと言いたいための、それは戦後民主主義によって分散してしまったナショナリズムを再び高揚させるための、それは国民に安全保障の意識を高め憲法改正へと向かわすための、その他あらゆる厄介な国内問題をうやむやにするための、それは極めて重要なカードなのである。実際今の日本はこの拉致問題で国際的にも国内的にもやっていけてるのではないかと思えなくもない。拉致問題は今や水戸黄門の印籠のような効果がある。何が起こっていても「これが目に入らぬかっ」と一喝すればまわりはだまるより他にない。
だから国は拉致被害者に対しては国費を惜しまない。どんどんつぎ込むつもりだろう。
それに対して、中国残留孤児の問題は国にとって何のメリットもない問題だし、出来たら忘れてしまいたい問題なのではないか。

一体いつから国や自治体はこんなえこひいきをしだしたのかわからないが、それは我々国民の側にも言えるだろう。我々自身が拉致問題に異様な関心を持っている。横田めぐみさんというわかりやすいヒロインもいる。一方残留孤児問題にはヒロインもいず、関心を寄せるネタがないし、なにより半ば過去のことだ。拉致問題は完全に現在進行形である。それもあるが、安易なポピュリズムというものが本来これに対しては中立であるべき国や自治体にまで浸透したのは今の情報化社会のなせる業なのか。情報が氾濫しすぎて、何が重要な問題かを検討できず、つい誰もがわかりやすいポピュリズムに頼ってしまうのか。それはわからないが、情報がありすぎて的確な情報処理が出来ていないような気がしてならない。

それはともかく、ポピュリズムと国の利益が見事に合体し巨大化したこの北朝鮮拉致問題を、我々はもう少し覚めた眼で見る必要が今あるだろう。
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