加藤治郎第六歌集『環状線のモンスター』批評会(1)
1月14日(日)、内輪だけのミニ歌集批評会が京都であった。15人ほどの出席者で、2時間ほど。発表者は土岐友浩氏とぼくの二人。司会は歌崎功恵さん。総合司会とこの会のセッティング全般を、しおみまきさんにお世話になった。

ここではとりあえず、批評会で自分の言ったことを中心に、言えなかったことなどを付け加えて書こうと思ったが、土岐さんの批評が鋭かったので少しここで書きます。以下彼のレジュメから前半のみそのまま抜粋。

『環状線のモンスター』批評会資料  土岐友浩

歌集全体の印象
生が死をぬりかえ、死が生をおおいつくしていく。歌の一行は独立しながら、テキストを喰いやぶる。まるでディスプレイにうごめきあう原色の人工生命を見るようである。

人形のお腹を裂けば(おにいちゃんったら)地下鉄の路線図みたい

匿名かつ大量の生(#穂村弘「全身短歌の異様さ」)。そして死。猟奇のアルゴリズム。一方コンピューター上では、「生」が仮想され、「死」は信号あるいは消費財と化す。生と死の横溢する世界の中に投げ出された「個」は、どこへも行けない。感動的である。

ひさしぶりと言うほかなくて今ぼくのこころは足のない風景画


穂村弘氏の言う、様々な「身体パーツ」を駆使して、「生」と「死」が同居するこの現実世界を短歌の中に取り込み、どこへも行けない追い詰められた「個」を描いたのがこの歌集なのだろう。「生」と「死」が単なる信号あるいは消費財と化し、人は無感動のまま日常という環状線の中でモンスターと化す。ここには穂村弘氏の言う「社会的に大きな現象を一気に短歌化してしまうパワー」があり、「強化されすぎた作歌システムに現実世界が飲み込まれ、消化されている」面があって、現代という時代がこの歌集の中にごろごろといとも簡単に異様な形相でころがっている。あまりに現代がぎゅうづめにされていて、読む人によっては辟易とされるかもしれない。実際出席者の中で、「山の中に住んでいる」というある女性が「自分の住んでいる環境とあまりにかけ離れたニュースの世界を見るようで異和を感じる」様なことを言われていた。確かに視聴率優先のテレビのニュースを鵜呑みにするわけにはいかない。ニュースには視聴者の恣意性が多分に反映されていて、本当に世界に起こっていることを伝えているとは限らない。だが時代は確実に変わりつつあり、環状線をぐるぐると回り続け、そこから出られずにモンスターと化した「個」が、今、確かに無感動にうごめいている。これは爆発的に何かが起こる予言のようにこの歌集が思えなくもない。予言にならないことをただ祈るしかないが。

ということで、ここまでで疲れてしまったので、ぼくのレジュメは明日にします。
か、明後日に。。。。。
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2007/02/09(金) 01:40:42 | パソコン図書館