祈りとしての音楽
もうこの歳になるとクラシックしか聴けない。かつて聴いたビートルズもストーンズもツェッペリンもクリムゾンもシュガーキューブスも、陽水もユーミンも薬師丸もスピッツも宇多田もDragon Ashも今はもう聴けなくなった。

そのクラシックもロマン派はもうだめで、古典派すらも遠ざかってしまって、僕の中では淘汰されかけている。残ったのはバッハとショスタコーヴィッチと、あとバルトークの一部のみかもしれない。

今、ショスタコーヴィッチの平均律、つまり「24の前奏曲とフーガ」を聴いているが、ピアニストは知らない人で、リトアニアの女流ピアニストだ。輸入版なので名前が読めないのだが、Muza Rubackyteという。とにかく一度この曲集の4番のフーガを聴いてください。だまされたと思って。ここには深い祈りが確かにある。それはとても静かで深い祈りだ。人間という生き物が「祈る」という感情なしには生きてはいけないものなのだと思いしらされる。僕ははっきり無宗教である。そしてどんなイデオロギーにもそまらないことを自身の信条としている。だがこの曲を聴いていると、その祈る対象がないことがとても不幸なことのように思えてくる。この曲を聴いていると、何かに祈りたい、という気持ちが極限まで昂ぶり、そしてその対象がないことにほとんど気も狂わんばかりになる。胸がかきむしられるのだ。そこで思うことは人間というのは宗教が絶対に必要なのでは、ということ。自分はもういい。だが他人がどんなばかげた宗教に陥っていようとも、それを非難することは出来ないのだ、ということをこの曲は僕に思い知らせる。

祈りの音楽というと、たとえばバッハのマタイ受難曲とか有名だが、ぼくはああいう大げさな音楽がどうも苦手で。というよりいかにも宗教音楽です、ってところが鼻に付いて嫌。静かな室内楽系が好きなので、その線で言うと、同じバッハの「ヴァイオリンソナタ第6番」の第3楽章。これはヴァイオリンソナタにも関わらず、この楽章だけはチェンバロの独奏である。そこがまた楽曲としても面白いのだが、バッハらしい崇高な祈りに溢れている。この曲はわかりやすいので、僕の中では一番のお薦め。あとゴルドベルクも確か良かったような。最近聴いていないのです。カセットテープが全部伸びてしまって聴けたもんじゃないから。グールドの晩年のがいいかな。CD買うぞ。とにかくバッハは他にも多いと思う、祈りの音楽が。
あとバルトークのピアノ協奏曲第3番。この曲は全篇が作曲者晩年の静かな祈りに溢れている。まさにバルトークの白鳥の歌である。バルトークの最高傑作だろうと、僕は思う。

僕はこんなふうに祈る対象がないので、音楽や文学に妙に敏感になり、自分だけの「祈り」をこれからも探し続けるのだろう。
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