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社会へのまなざし
以前俳句をやっていたとき、社会性俳句になんの違和感もなかった。それはきっと客観写生をよりどころとする俳句文芸においては、その作品にどんなに作者が自身の感情や思想を混入さそうが、その客観性が失われることがなかったせいだろう、と今になって思う。ただ今の時代、社会性俳句は困難だが。
ところが短歌に入って、社会詠なるものに、どんなに異和を感じたことだろうか。そのほとんどが作者の感情やイデオロギーを振り回したものでしかないからだ。なんの客観性もない場合が多い。それもニュースをみて感じたことをそのまま書いただけのものだったりする。酔客が「小泉はなに考えてんだ、バカヤロー」と怒鳴ったり、井戸端会議で奥さん連中が「最近は気持ちの悪い事件ばかり起こりますでしょう、奥さん」と声を潜ませることとなんら変わりのない次元である。出来の悪い素人川柳と同じだ。

そんなもやもやしたことを感じていたとき今年の2月に、社会詠について青磁社のシンポジウムが開かれた。僕は出席できなかったが、聞いたところの話によると、僕にとってはあまり芳しいものではなかったようだ。青磁社の週刊時評に載ってい一連の文章(参照)と大差なかったようなのだ。

ますますもやもやが昂じたときに『未来』編集部の田中槐さんより「今度は何書いてもいいから」という原稿依頼が来て、以下の文章を書かせてもらった。もちろん社会詠についてである。

時事詠だけが社会詠ではないのは、言うまでもなく当たり前のことだ。しかし歌人にはまずこのことが通じないことが多い。むしろ客観性の無い時事詠は社会詠ですらないとはっきり言えるだろう。

以下、『未来』八月号より。



社会へのまなざし            細見晴一

1.個人主義の限界
 まず近代という時代の位置づけについてもう一度考えてみたい。それは短歌をするとしないとに関わらず、現在を生きる我々にとってとても重要なことだからだ。

近代とはまず、旧体制の階級規範が崩れ去り、資産は均等化され、職業の選択は自由になり立身出世の道はすべての人に等しく開かれ、社会的流動性が高まった時代と言える。そして活版印刷の発明などメディアの発達により知識や情報の流動性も高まり、それにより因習や制度、階級的な思考方法から人々は解放され、社会的宗教的紐帯は希薄になり、自分で考え自分で行動するという、個人主義的な姿勢が自ずと会得されるようになった。つまりこのまま行けば〈個人〉がより充実した存在になり、それが社会にフィードバックされ、社会も個人も相乗効果でより進歩するはずだった。だがもちろんそうはならなかった。それはおそらく、この充実した〈個人〉が社会へはなかなかフィードバックされなかったからだろう。
人々は自分の合理的判断で処理し得ないような義務や信条を拒絶し、自分と家族や友人からなる小さな私的社会に閉じこもり、その外側にある社会全体の姿を見失うようになった。その結果、公的な事柄への関心を失い、私的な経済福祉への関心を高め、現世的な安楽への欲求を強め、自分たちの生活の向上につながるような直接感じうる欲望を満たすことに熱中しだすのである。それを自由と言って憚らず、個人主義が掲げた「旧態からの個の解放」を履き違えた彼ら利己的な個人主義者たちにとって、この社会とはもはや自分の欲求を満たすためにのみ存在していた。〈個人〉と〈社会〉が互いに赦し合い、バランスがとれ、成熟してゆく社会を彼らは夢想だにしない。〈社会〉は自分たち〈個人〉に隷属していると疑いもせず、〈個人〉が個人主義の名のもと暴徒化したのが現代という時代ではないだろうか。個人主義とは本来、個人の自由、権利、個性を尊重しましょう、つまり他の個人も自分という個人も尊重しましょう、という考えだが、利己主義は己のみ利すれば他人は知らない、社会は自分が幸せに暮らすためにのみ存在している、という考え方だ。あの輝かしい個人主義が単なる利己主義と同化しようとしていた。個人主義そのものがもう限界に来ていたのだ。

2.社会的風景としての短歌
〈個人〉の内面を歌うことに適していた短歌という文芸が近代という時代に突入した途端、隆盛が始まったのは自然なことといえる。個人主義と近代短歌は非常に相性が良い。だが近代が終焉し個人主義が臨界に達しつつあるこの現代において、なおも近代短歌的な手法を維持することの意味を今一度問わなければならないだろう。近代短歌華やかなりし頃の短歌は、まさに個の解放が瑞々しい。ナチュラルに個人主義の勝利を歌えた。だが今この現代において同じように近代的な個人主義に根ざした短歌を作ることは、残念ながら個人主義が単なる利己主義に変質しているのだ、ということに気がついてない、というふうに私にはとれる。そしてこの個人主義だと思い込んでいる利己主義ほど始末に終えないものはない。
特に社会へ目を向けた社会詠においてはまず、この蔓延する利己的な個人主義を透らないような視点を確保するべきだろう。でないと短歌で自身のイデオロギーを振り回す、というぶざまな状況が露呈されるだけだ。個人的な感情で社会を見てもそれは社会を真に見ていることにならない。あらゆるイデオロギーから極力自由であることだ。そして自分を如何に無に出来るかではないか。
では社会へ目を向ける、とは具体的にどういうことなのか。新聞やテレビのニュースに目を通す、ということだけでは決してない。報道というものはたとえそれが大新聞でも、多分に恣意的である。ニュースというものは文字通り新しくなくてはならない。マスコミも資本主義の枠組みのなかに在る以上、人々の欲する報道をせざるを得ない。重要なことより単に新奇なだけの事の方が人目を引き報道されやすくなる。大衆を惹きつける事象の方がよりニュースになる価値を与えられやすい。そういった時事というものは本当に社会で起こっていることからは微妙に乖離しているはずだ。衆目を惹きつける猟奇的な殺人事件や、狡猾で反社会的は経済スキャンダルのような珍しいことだけがこの社会で起こっているわけではない。
それともうひとつ、日本だけでも一億人あまりいれば、めずらしい事件あるいは残虐な事件がたびたび起こってもなんら不思議はないわけで、毎日のようにそんな事件が報道されるからといって、そんなことだけがこの社会を象徴しているとは限らないはずだ。
では社会とは何か。それはやはりまず自分の目で確かめることからしか始まらないのではないか。ニュースやその解説を読んだだけでは決して社会はわからない。そんなことより一歩外へ出てみる。そこがもうすでに社会であるはずだ。

山峡(やまかひ)に朝なゆふなに人居りてものを言ふこそあはれなりけれ
斎藤茂吉『あらたま』

この山峡(やまかひ)に居る人々は茂吉にとってあずかり知らない赤の他人と読みたい。つまり茂吉の私的な世界の外側にこの歌の世界がある。そここそがまず社会ではないだろうか。こんな山深いところにも人は居てものを言っている。遠くからの人の話し声がまるで大自然の何かのかすかな音響のように響いてくる。大自然と人間社会との交響に深く感銘したのだろう。それを〈あはれ〉と言った。これが社会詠の原点だと私は思う。自分の家を一歩出たそこがもう社会だろう。当時は特に農村が社会そのものであっただろうし。

木場すぎて荒き道路は踏み切りゆく貨物専用線又城東電車
石炭を仕別くる装置の長きベルト雨しげくして滴り流る 
土屋文明『山谷集』

家を一歩外に出れば、そこには道路があり、踏切があり、工場がある。これが実際の社会である。客観描写でありながら、作者のパーソナルな視点である。従来の自分と家族や友人からなる小さな私的社会のその外側の風景、これを私は社会的風景(*)と呼びたい。しびれるほどの現実社会がここでは作者の感情を通さず、容赦なく冷徹に描写されている。文明は抒情を極力排しながらこういった社会的風景なるものをおそらく意識して短歌に持ち込んだのだ。
 それに対してこの社会的風景をはっきり短歌的抒情に高めたのが近藤芳美だろうか。

夕ぐれは焼けたる階に人ありて硝子の屑を捨て落とすかな
振り過ぎて又くもる街透きとほる硝子の板を負ひて歩めり
近藤芳美『埃吹く街』

二首とも窓からかあるいは屋上から見える風景だろう。遠くの空襲で焼けたビルだろうか、そこから硝子の屑が夕陽にきらきらと落ちていくのが見え、また一方建築中のビルだろうか、雨後の曇天の中透きとおった硝子の板が運ばれるのが見える。おそらくそれは作者の私的な生活とはほとんど関係のない、つまり社会的風景である。作者は一切自分の感情を通さず冷徹に描写していて、それでいてほーっと溜息をつくほどのうっとりとした抒情がそこには流れている。

3.社会へのまなざし
結局、時代に関係なく、歌人が真に社会性を得るには、こういった社会的風景を踏まえた上での、客観的な社会へのまなざしが、その歌人のコアに保持されているかどうかにかかっているのではないだろうか。

久しき危機まひるめし屋に人充ちて視入る墓石のごときテレヴィに
塚本邦雄『日本人霊歌』
孤と個あい寄りあいつながりて疾駆するあしたの底の縞馬のむれ
岡井隆『朝狩』

早くも近代という時代に疑問を感じ出したこれら先鋭的な前衛歌人は、逆に自身の感覚を露骨に仲介させることによってこの社会に迫り、喩を駆使することによって、〈個人〉と〈社会〉の関係性を揺さぶりだした。それはまるで、この社会が短歌で扱えるのか、という最終局面をチェックするかのようだ。
 墓石のようなテレビに見入る人々、はげしく作者の主観が入ったこの社会的風景。そこに久しく横たわる危機は自身の危機なのか、社会の危機なのか、決して明らかにはされない。
 〈孤〉と〈個〉があい寄りあいつながってできるというこの社会を〈あしたの底の縞馬のむれ〉という喩的風景に幻視する。〈個〉と〈社会〉を凝視する作者の視点は、もつれながら洋々と走り抜ける縞馬の群と一体となる。その中で社会の構造が陶然と現出されてくる。
 結局この二首とも作者個人の主観を介しながらも、冷徹で客観的な社会へのまなざしに貫かれている、と言える。先に挙げた文明、芳美の社会的風景に比べ、喩により主観を押し出している分、社会へのまなざしの純度という点では劣るかもしれないが、社会へのまなざしの強度という点ではむしろ勝るのかもしれない。それはおそらく前衛短歌では様々な視点をさ迷うことによって、視線が鍛えられ、社会へのまなざしをより強靭なものにしているからなのだろう。

 そして個人主義と利己主義が幸福な一体感を遂げたあのやけに明るく無責任な八十年代を、その「柔らかい個人主義の誕生」にはうってつけのライトヴァースという韻律で乗り切った現代短歌は、それを経て、九十年代以降は再び内へと向かう。

人は或るカテゴリーにて殺される 校庭をまわり続ける鼓笛隊
加藤治郎『昏睡のパラダイス』
人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天
永田紅『日輪』
雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
斉藤斎藤『渡辺のわたし』

一首目、自身のイデオロギーを振り回すことが決して社会詠ではないのだということを、作者はいつも何の気負いもなく無意識にナチュラルに提示してくる。人をカテゴライズするということはその人の何かを捨象することになり、その部分その人を殺すことになる。それを〈校庭をまわり続ける鼓笛隊〉という象徴と対比させ、カテゴライズされる側の無念さを表わす。〈個性の尊重〉という本来の個人主義を訴えた淡々とした社会詠である。文明、芳美、前衛短歌で鍛えられた社会へのまなざしの純度、強度が、ここでは最も正統的に口語短歌に継承されているのではないだろうか。
 二首目、いくつになっても、それは二十代でも四十代でも六十代でもおそらく八十代でも、回りからあるいは書物からどんなに教わろうが、人というものは皆その今生きている年齢には決して馴れていないものなのだ、という達観。誰もがほーっと息をついだに違いない。各々の〈個〉に寄り添うことの出来るこの達観も、イデオロギーや時事的なこととは何の関係もない、客観的な人間観察、あるいは社会へのまなざしの賜物だろう。
 三首目、安易な食べ物の代表のようなのり弁が雨の県道にぶちまけられている。再生不能な暗澹たる現在の状況を、ドライに淡々と暗喩的に言っていて、その実これは、現在の最もシビアな社会的風景でもある。作者の社会に対する主観と客観が織り成す重層的なまなざしが、この作品の意外な腰の強さの要因だろうか。

 人には無限に自由があるわけではない。単に人は、何よりも自由が好きだったから、自分たち人に無限の自由を与えたかっただけに過ぎない。近代とはそんな熱病のような時代だった。社会へのまなざしとは、まずこのことの認識からではないだろうか。

(*)二十世紀後半アメリカの写真表現ムーヴメント「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape」より
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