悪夢の開始は
Huffington Post Japan:カーク・ダグラス「未来への道」

今、アメリカの多くの良識ある人が、ドナルド・トランプが大統領にならないことを祈っている。

この国に住みたいと求める人みんながみんな、この国にうまく同化できるとは限りません。この国で最も繁栄し、活躍しそうだと思う移民を選ぶのは、主権国家としての我々の権利です......すべての申請者に対して新しいスクリーニングテスト、これには、我々の国に入ってくることを我々が許す者たちが、我々の価値観を共有できると確認するために思想の証明書も含めるべき......


この凍りつくようなマニフェストは悪夢の序章に過ぎない。アメリカが悪夢を開始すれば世界中が開始する。この日本も。多くの人が人間として生まれたことの意味を失うのだ。

僕もトランプが大統領にならないことを強く祈る。たとえ悪夢の開始が遅れることになるだけだとしても。
安全保障のグローバル化
危機の20年:北田暁大が聞く 第6回 ゲスト・小熊英二さん 安保法制抗議運動(その1)

小熊英二「貿易や安全保障の国際合意が優先され、国内民主主義が軽視されることも多くなった。」


つまり反安保運動というのは安全保障のグローバル化に対する反対運動、ともとれる。政府中枢が国際協力の名のもとに貿易や安全保障をグローバル化させていくことへの不満、日本国民が置いてかれるじゃないか、という不安感がうずまいている。それと単純な平和運動とか結び付いた結果だろうと思う。

しかし情報、物資などがこれだけグローバル化されていけば、政治やビジネスがグローバル化されるのはある程度仕方ない。政治やビジネスにおける国際協力と、個々の民族の独自文化を守る、というのとは分けて考えなければいけないはずだ。
証言こそが一級の歴史資料
産経ニュース:慰安婦資料 証言が中心 記憶遺産申請 専門家「客観性欠く」

証言は確かに客観性には多少欠けるところがあるかもしれない。
なぜなら人間の中には嘘を言う人もいるし、大げさに言う人もいる。
記憶違いもあるだろう。(たとえば連れ去られた年齢など)

しかし、そういった証言こそが一級の歴史資料であり、客観性を精査していけばいいわけで。あるいは客観性を持たせるために、極端な証言は真実かもしれなくてもあえて除外するとか、すればいい。そういった極端な事例を除外しても、慰安婦にされた女性たちは、日本兵の看護婦としての仕事か賄いの仕事をするんだと言って騙されて連れ去られ、性奴隷をさせられていたという証言が大多数だった。つまり半強制的な連行。彼女たちが自らの意志で慰安婦になったのではない、ということが一番大事なこと。

証言しかないからと言って、あったことそのものを否定しようとするのは極めて幼稚な話。証言こそが一級の歴史資料なのだから。それを如何に活用するのかを考えていかなければいけないわけで。それを最初から考えようとしないわけだから、卑怯で情けない話だ。
ニースの件ははたしてテロか
前のフロリダの件もそうだったが、このニースの件もはたしてテロと呼べるのかどうか。イスラム国の声明はずいぶんと後出しだし。この犯人とイスラム国はおそらく何の関係もないだろう。

社会的に疎外され社会的に破綻しかかった若者の社会に対する憎悪が、イスラム国のテロリズムに共鳴して起こった単なる無差別殺人で、思想的な背景は全くなかったのでは、と思わせられる。イスラム原理主義に共鳴したのではなく、単にテロリズムそのものに共鳴しただけで。

これがテロならあの秋葉原の件だってテロである。
単に社会的に追い詰められて無差別殺人に至るより、これはイスラム国的テロリズムだと自分で思い込んだ方が、自分がみじめではなく、自分的に納得できるのではないだろうか。

フロリダの件と決定的に違う点は、銃規制に関係なくトラック一台で悲惨なテロ的事件を起こせたということにある。
今後もこの事件に感化された事件が世界中で起こるのではないか。もちろんこの日本でも。トラック一台あればできるのだから、大型運転免許さえあれば誰でもできるわけだし。なんだったら普通車でもできなくはない。
テロかヘイトクライムか
フロリダの銃乱射事件、イスラム過激派のテロということで報道されているが、これはどう考えても、性的マイノリティに対するヘイトクライムだろう。
犯人はアメリカのイスラム社会に属しているが、元来過激派ではなく、ただ同性愛に対する憎悪を強く持っていたらしい。イスラム国では同性愛者が公然と処刑されている。

ここからは想像だが、ホモフォビアの犯人が、イスラム国の教義の反同性愛の部分に反応して、殺していいんだと思い、テロとして犯行に至ったのではないかと。

つまり、テロの威を借りたヘイトクライムなわけで、犯行動機に政治的なものは一切ないと思う。パリ同時多発テロ等とは全く違う。これはテロだと自分で納得すれば殺してもよい、ということにしているにすぎない。

今までのテロよりも一層タチが悪くなったようで、世界がより気持ち悪く危険なものになっていくような気がする。
オバマ氏訪問の捉え方=青木理
僕と同じ考え方の人がまた一人。

ジャーナリストの青木理氏が今度のオバマ大統領の広島訪問についてのアメリカメディアの動向を紹介している。
オバマ氏訪問の捉え方=青木理(毎日新聞)

ロイターの記事は、オバマ氏の広島訪問の「意味」について、米当局者のこんなコメントも紹介しています。
 「言外に込められた意味の一つとしては、『私が広島に行き、米国内で批判を浴びるなら、あなた方ももう少し努力して過去の行為を認めてもいいのではないか』と日本の現職と将来の指導者らに伝えることだ」

これも一面の真実でしょう。かねて安倍政権は「歴史修正主義的」と懸念する声が欧米でもくすぶっていました。実際、米ニューヨーク・タイムズも今回の訪問を受けて「日本のリーダーは平和主義の広島の遺産をほとんど活用する気がない」という記事を掲げ、広島で長く平和運動にかかわる女性のこんなコメントで記事を締めくくっていました。

 「オバマ氏には会いたい。でも、安倍(晋三)首相が横に並んでいるのは見たくない。広島の記憶が利用されるのは見たくない」

 辛辣です。しかし、海外メディアの視座も重要です。日本は被爆国として非核と平和主義のメッセージを発し続けるべきですが、それはすぐに僕たちにはねかえってくる。先の大戦では日本も各国に癒やしがたい傷を負わせ、いまなお後始末が済んでいない。米大統領の広島訪問は、そうしたことも真摯に再考する契機にすべきでしょう。


オバマが本当に〈言外に込められた意味〉を言いたかったかは別にして、我々日本人はそれを感じ取らなければいけないし、僕は無意識にそれを感じ取った。当たり前だと思う。南京がなければ広島はなかったわけだし、広島に原爆を落とした国の国家主席が来るのだったら、南京事件を起こした国の国家主席も南京に行くべきだろう。それは自然の摂理と言っていいぐらいだ。

しかし人間はだれもが被害は覚えていても、加害に関しては忘れてしまうものだ。いや忘れる以前に認めたくないものなのだ。しかしオバマは広島に来た。加害国の側としてきたのだ、明らかに。だから日本中が感動したわけだし。謝罪の言葉はないとしてもそんなことは関係ない。来ただけで奇跡だと思わないと、南京をいまだに否定している日本人からすれば。南京に行くどころか認めようともしないわけだし。意識レベルに恐ろしいほどの差がある。あのオバマ大統領と安倍首相の落差のように。

しかしあれだな、安倍首相が横にいるからあの式典を見たくなかった、あるいは本当に見なかった人はいるな。僕の身近にもいそうだ。気持ちは痛いほどわかる。僕だって出来る限り安倍首相の方は見ないようにしていたもの。スピーチもできるだけ聴かないようにしていた。空虚なスピーチに何の意味があるというのか。とにかく歴史修正主義者の総本山的な人物があの場でアメリカの大統領を迎えるホスト役だというのは恐ろしいほどの違和感を感じるものだ。それは耐えがたいほどの。
広島と南京
オバマ大統領の広島訪問には感動してしまった。確かに物足らないところはあったけど、まあこんなもんでしょう。

これに対して中国の王毅外相がいちゃもんをつけている。
「広島は注目を払うに値するが、南京は更に忘れるべきではない」
「被害者は同情に値するが、加害者は永遠に自分の責任を回避することはできない」

南沙諸島を睨んだ日米安保を牽制してとのことだとメディアは報じているが、それもあるだろうけど、やっぱり本音だろうと思う。
南京がなければ広島はなかったわけだし、広島長崎があったからこそ日本人は自分たちがあのアジア太平洋戦争の唯一の加害国だということを忘れてしまっている。特に中国にどんなにむごい仕打ちをしたかということに蓋をしてしまっている。なんとなくあの時の日本て被害者、みたいな感じで。

広島にオバマ大統領も来たことだし、いい加減この呪縛から解き放たれなければ。
次は南京に日本の首相なり天皇なりが訪問すべき番だ。そして同じように資料館を見て回り、同じように献花をして所感を発表する。そうすれば、オバマ大統領の来訪を日本人が感動したように、中国の人もこの来訪者に感謝し絶賛するだろう。
これこそが中国との最大の安全保障となる。軍事を介さない最も堅密な安全保障となるはずだ。
南京事件がユネスコの世界記憶遺産に
Dailymotion「南京事件 兵士たちの遺言」

やっと全貌が分かったというか、一部がわかったというか。揚子江沿いで多数の捕虜を虐殺したのは南京独特だったのかもしれませんが、後半の許巷村での殺戮は日中戦争時、中国全体で繰り返し行われていたことだと思います。南京が20万人だったとしても中国全体で1200万人の被害者。南京だけでなく、日中戦争全体がどんなに悲惨だったかを我々ははきちんと検証していかなければならないでしょう。

当時、日本兵は中国人をチャンコロと言って、人間扱いしていませんでした。チャンコロは全員殺してよかったとある兵士が言ってたのを思い出します。究極のレイシズムです。

慰霊碑がちゃんとあるんだから、政府の要人なり皇室の人なり、キチンと慰霊に行けばいいのにね。

映像を見れば南京事件はユネスコの世界記憶遺産に充分値すると思った。これを受け入れるか受け入れないかで、日本民族のレベルが決まる、と言っていいだろう。ノーベル賞をいくら多く受賞しても肝の小さい民族というのはあるだろうから。
「なんかSEALDs感じ悪いよね」の理由を考える。
為末大さんがSEALDsに対して感じている事を呟いたら斜め上に叩かれている件

為末大:
「安保法案は、現状がどうであれ最高の選択をするべきだという価値観と、現実から考えてまだマシな選択をするべきだという価値観の対立に見える。」
「0か100か白か黒かしかない人とは議論ができない。」


その通りだと思う。しかし他のコメントでは、スポーツコメンテイターの悪しき常道だが、政治とスポーツを一緒にしてるのには閉口した。だがしかし、半分は共感。なんかSEALDsって変だよね、というのには。

あと、僕個人の雑感。

「対案はない、廃案なるのみだ!」っていうのは全く現実的でない。間を考えるのが普通でしょう。議論そのものができないし。

日本さえ平和であればいい、という非常に利己的なものを感じた。
じゃあ、イギリスやアメリカの兵士はイスラム国空爆に参戦してもいいわけなのか。日本人ならだめで、欧米人ならいいのか。同じ人間でしょう。今度の安保法案反対運動はナショナリズムそのものに思えてくる。欧米人なら戦争に行ってもいいけど、日本人はいや、というのは別の意味でのレイシズム。

なんかSEALDs感じ悪いよね。
でも安倍が失脚したら、彼らの功績。
感じ悪くても拍手を送る。
僕はそういう、感じの悪い奴。
さよなら、日本の平和主義
さよなら、日本の平和主義 ― 長坂道子「ときどき日記」

西洋から輸入された議会制民主主義が結局はこの日本には合ってなかったのだろう。システムだけを輸入しても、そのシステムを試行錯誤して成立させる過程までは輸入できないのだから。試行錯誤してないから、行き詰まった時に修正する能力が無い。そしてあのわけのわからない、子供じみた強行採決となる。

日本は世界第三位の経済大国だ。その大国がその悲惨な歴史があるからといって、西洋のように海外派兵をしないというのは不公平だろう、という考え方は正しい。世界中にお世話になっているのだから、世界中から搾取してこの日本の豊かさがあるのだから、貧困ゆえに起こる世界の紛争を見ないふりはできない。それが人道主義というものだろう。

ファシズムの再来だ、などと短絡的なことを言うのは中国ぐらいのもので、今度の安保法制を歓迎する国は多いはずだ。やっと日本も何が対等かを理解したのかと。戦後70年も経てばもういいだろう、というのが世界から見れば一般的な考え方だと思う。だって、西洋などは自分の国はイスラム国などへ派兵しているのだから。日本みたいな豊かな国がなぜ派兵しないんだ、こっちも派兵したくてしてるんじゃないんだから、ということになってくる。

だが、この安保法制反対運動の盛り上がりは、思いのほかあの悲惨な戦争のトラウマがまだ日本人には残っていたんだと、世界中が思い知ったに違いない。いや実際、思い知るべきだと思う。

そしてこの安保法制が、せっかく軍事力による解決を少しずつ断念しようという方向に向かってきたこの世界にとって、また軍事力を頼りにするしかない、殺伐とした世界への逆行になるということも思い知ることになる。そしてこういった世界に対して日本は責任を負うことになったのだ。それが大人の国、ということなのだろう。

世界は最後の頼みの綱だった「日本の平和主義」を失った。日本だけが失ったわけではないのだ。そのことも日本人は理解しないといけない。そこで初めて大人の国になるのだから。