スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
南スーダン
ハフィントンポスト:2017年に世界がもっと関心を持つべき、3つの人道危機

ハフポスが挙げる「2017年に世界がもっと関心を持つべき、3つの人道危機」地域に南スーダンが挙がっている。
つまり「暴力が女性や子供たちに深刻な影響を与えている」わけだ。女性はレイプされ、子供達は深刻な食糧不足と命の危機に直面している。
そんな中、日本の自衛隊が援助隊員として派遣されているわけだが、これはもう至難の仕事だろう。彼らの仕事から、日本の大変さと世界の大変さは全く次元が違うのだということをメディアを通じて我々日本人は知ることとなるはずなのだが、あまりそういうことは報じられずに、日本の戦争参加を非難するリベラル側の報道が多い。つまり現地の人の人道危機はあまり報じられずに、日本人の若者が命を落とすかもしれないという危機ばかりクローズアップされる。
これはまさに、第二次世界大戦で、日本の兵隊の大変さばかり取り上げて、中国やアジアの戦争被害者を忘れてしまっている構図とそっくりだ。
日本人は保守だけでなく、リベラルまでも日本人の命にしか興味がないのだろうか。この閉鎖的なナショナリズムには辟易するしかない。日本人全体が偏狭なナショナリストだ。
日本人は外国人の命はどうでもいいのだろうか。もし日本の自衛隊が派遣されなければ、代わりに欧米のどこかの国の若者が派遣されるに違いない。それはいいのだろうか。それは文句言わずに日本人が派遣された時だけ文句を言うという。僕はこの感覚が未だに理解できない。これを言うと、おまえが行ってこいよ、と言われる。僕のようなへろへろの年寄りが行ってなんの役に立つというのか。年寄りは安全保障に何も言う権利がないというのだろうか。それこそ議論させないための卑怯な言い方じゃないかと思うのだ。

世界の安全保障は世界中の人が一致団結して行わなければ成立しない。日本にとってその端緒となるのが南スーダンなのだと僕は思っている。
反知性主義からの脱却へ向けて
危機の20年 :北田暁大が聞く 第8回 ゲスト・小森陽一さん 文壇、論壇と言説

社会学者・北田暁大と文芸評論家・小森陽一がトランプ現象を読み解き、今後の課題を探りだす。以下、抜粋。

小森陽一 英国の欧州連合離脱、今回の米大統領選と、「やってびっくり直接民主主義」というのが連続しました。近代的な価値観が嫌なので離脱します、という感覚と言説ばかりが目立つ傾向が広がっています。

北田暁大 白人の中流・ブルーカラーで相対的に見れば所得にも恵まれているのに、何かを奪われたという思いの強い人たちが、米大統領選でトランプ氏を支持したという分析もあります。彼らは、移民や貧困層に「自分たちの享受できたはずの日常」が奪われたという「理由」で、トランプ的な近代的価値の蹂躙を、スルーしたり乗ったりしている。近代・多文化うざい、の剥奪感が蔓延している。最悪の「ポストモダン」です。

小森 この20年で、近代が創り出した言説の公共空間が急速に崩れていきました。日本でもかつての文壇と論壇のあり方が維持できなくなり、崩壊しています。

小森 漱石は、ヨーロッパが400年かけて進めた近代化を、日本は40年で実現したと認識しています。

北田 急ぎすぎた近代、短縮された近代のゆがみが明治の後期にも噴出し、大正を経て昭和においても噴出しました。

北田 今も30代後半から40代の団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニア世代は、「父母より裕福になれない」というだけの話を、自分たちは被害者であるかのように捉えています。剥奪感はあくまで相対的なもので、貧困層の苦しみや非正規雇用のシングルマザーの苦しみとは水準の違う話ですが、逆に発想する人たちがいる。原因は他にあるのに、生活保護を受けている人などが自分たちのパイを奪っているという発想になってしまっています。

小森 今復元すべき、公共空間に通用する言説をどう作っていくのか。ネット時代の今、身体的存在としての人間と、生身の身体から発話される言葉によるコミュニケーションが重要です。実際、そこから改めて自分にとって必要な文学を議論する動きも出ています。

北田 対面し信頼を前提とした人間関係と、電子空間とのバランスをどう取るのかが、個々人の幸福と公正性の実現のために、本格的に考えられないといけません。その均衡点を見つけていく仕掛けが必要です。そのためには論壇、文壇といった「壇」の外に出る、あるいは壇を元に戻す。論壇と文壇と講壇などが一緒だった、つまり一つの「壇」だったところまで戻っていく仕掛けを作り出すことが課題かもしれません。


以上、僕が以前から思っていたことそして新たなことがいろいろとあり興味深い。

日本だけの問題で言うと、欧米が苦労して作り上げた近代を日本はたった40年でコピペしてしまった。だから近代が行き詰まった時に試行錯誤の過程を経ていないので、問題解決ができない。それが例えば近代の行き詰まりの最大現象であったあの戦争の責任問題。日本人は完全に逃げてしまっている。しかし、例えばドイツは何とか対処している。試行錯誤できるからだ。

世界全体で言えば、直接民主主義の限界がはっきり見えてしまったこの一年だったが、実際に起こっているのは内側へ向かった攻撃。外側へ、つまり国外への攻撃姿勢が現れるのが戦争なら、今はそれは無駄なのであきらめて内側へ向けられているのではないか。それがたとえば、国内での少数民族差別であり、性的少数者への差別。そして今年になって起こってきたのが、長谷川豊や小泉進次郎による医療費をめぐる人の選別。しずれにしろ、少ないパイを出来る限り自分たち以外へは渡すまいという陰湿な執念が見える。そしてそのためにまっとうな日本人、という幻想を作りだす。これは欧米も同じ。

そして二人が強調するのは、これらの問題意識を一般に届けるための言説の復活。たとえば文壇と論壇の活力ある結びつきをもう一度復活できないか、とうこと。つまり反知性主義からの脱却だ。
アメリカ大統領選挙
アメリカは今日、大変なことになってしまった。まさかの、いや、あるいは想定通りだったのだろうか。しかしここまでアメリカが行き詰まっていたとは。
世界中に内向きの政権ができる大きなきっかけにならなければいいが、と真剣に思う。世界中が自分の国のことしか考えなくなる世界なんて想像もしたくないし。
願わくば、あの数々の暴言が大統領になるためだけの演技であってほしいと、いまだにおめでたい気持ちを持ってしまう。これからの世界は無慈悲な方向にしか行かないのだということをいまだにぼくは受け止めきれていないのだろう。
世界中が自分の国のことしか考えなくなる、ということは世界中の人が自分個人(とせいぜいその家族)のことしか考えなくなるということとどれぐらい等価なのだろうか。そんなことは一番考えたくないことだ。
民族の自立とは
ロイター 特別リポート:ドゥテルテ氏、虚偽の数字で「麻薬戦争」先導か

麻薬犯罪者だからといって、もちろん安易に殺していいわけはない。しかも数字を捏造してまで、自分たちのやることを正当化する。これは我々西側の倫理からは大きく外れる。だからこのフィリピン大統領を我々は厳しく非難すべきだろう。
だが、どうだろう。麻薬が確実に社会を蝕んでいくこの後進国にとって、麻薬がさほど社会を蝕まない我々先進国の倫理がどれぐらい意味があるのだろうか。
その国にはその国の事情が必ずある。かつてイラクを厳しく非難して、非難したあげく軍事介入して失敗した教訓を忘れてはいけないと思うのだ。
だからフィリピン大統領を大いに非難はすべきだが、内政干渉してはいけないだろう。彼らには彼らのやり方で今の苦境を脱してもらうしかないのだ。欧米の手取り足とりで脱しても、それは何ら経験にはならない。むしろ国体は弱くなるのではないか。

かつて日本は欧米の近代社会をそのままコピーして近代化を成し遂げた。だが、たとえばフランスのように、自力で封建社会をひっくり返したわけではない。お上の首が徳川幕府から明治政府にすげ替えられただけだ。相変わらず、民衆はお上の下にいるので、社会が行き詰まったらお上のせいにしてしまう。例えば日中戦争。始めた時はやんやの喝采だったが、負けると途端に政府や軍部のせいにして、責任の所在から逃げてしまう。ドイツはちゃんとナチスの戦争犯罪を一般市民が認識しているというのに、この違いはなんだろう。
日本はいまだに欧米の手取り足取りで発展し、そしてそれゆえ衰退していくのかもしれない。

例えばアジアではベトナム。まだ発展途上だが、フランスやアメリカの言いなりにも中国の言いなりにもならずどこの世話にもならずに、今飛躍的に発展しようとしている。ベトナムはこれから打たれ強い立派な国になる予感がする。
フィリピンはベトナムとはもちろん違うし、これ以上の人道上の圧政があれば介入も考えないわけにはいかないだろう。でもそれまではその民族の自立をじっと見守っていくしかないと思う。日本やイラクの二の舞にならないように。
新たな選別の時代
西日本新聞:【「自己責任」論】平野啓一郎さん

僕と同じことを感じている人が一人いた。
僕が危惧していたように、津久井やまゆり園での障害者殺戮事件や、長谷川某の自堕落な患者は医療費全額自己負担、といったような、福祉や医療費をめぐる人の選別がやはり始まっているのかもしれない。
次は高齢者だろうか。長生きしすぎた人の医療費は全額自己負担ですよ、とか。ぞっとする。

以前のファシズムの時代の選別は民族とかによるものだった。つまり普通に考えたら理不尽な選別だ。民族が変わっても同じ人間なのだから、当たり前のことだ。だからこういう理不尽な選別は一笑に伏すことができる。だが昨今の選別は、たとえば自堕落な生活の人の医療費をなぜ国が負担しなければならないのか、と問われれば、なかなか反論しにくい。反論しにくいだけにとても厄介な選別だ。

新しいヘイトの対象が生まれたのか。民族差別は差別したいから差別する、というばかげたものだが、この選別は選別したいからというより、真剣に財政を考えてのことだったりするから、いっそう厄介なのだ。

医療費だけでその人の全人格を否定する短絡的な思想になりかねない。多様性あっての世界であり人間だ。あらゆる生物がその多様性によって成り立っている。生物学的にも倫理的にも。多様性を尊重するということをもっと我々は学ばなければならないのだが、その前にこのおぞましい選別の時代が来るのだろうか。
何が「土人」と言わしめたのか
沖縄ヘリパッド:松井知事「暴言隊員」擁護「売り言葉に」

米軍北部訓練場(沖縄県)のヘリ離着陸帯移設工事現場に派遣された大阪府警の機動隊員が抗議の市民らに「土人」などの差別的な発言をした問題で、大阪府の松井一郎知事は20日、「発言は不適切だが、個人を徹底的にたたくのは違うのではないか。相手もむちゃくちゃ言っているのに、すべて許されるのか」と述べた。府庁で記者団の質問に答えた。
松井氏は機動隊員について、「人間ができていないのだろうが、『売り言葉に買い言葉』で口がすべったのではないか」と擁護。「沖縄に圧倒的な基地負担をしてもらっているのは申し訳ないが、全国の警官が無用な衝突を防ぐため一生懸命働いているのは事実」と強調した。
 松井氏は19日夜、自身のツイッターで「出張ご苦労様」と機動隊員をねぎらう言葉を投稿。府庁には、書き込みを見た府民や他県の住民から「あぜんとした」「センスがいただけない」といった批判の意見が電話やメールで届いているという。【青木純】


どんな文脈であろうが「土人」発言はひどいんだけど、でもどういう文脈で「土人」と言ったのかは少しは考えるべきで、この場合の松井知事の発言には半分賛成。売り言葉に買い言葉はあったかもしれないわけで。

しかし重要なのは、何が現場で言われたかではなくて、日本の安全保障を長年沖縄に押し付けてきた我々本土の人間の無責任な無意識をこそ考えることなのではないか。それに対する、むしろもう限界だという沖縄の人の悲鳴が機動隊に反射して「土人」発言に至ったのではないかという気がしてならない。

我々本土の人間の無責任な無意識を大阪府警の機動隊の発言に責任転嫁しているような気もする。我々はなにも悪くないんだと言わんばかりだ。悪いのは政府であり、政府に雇われた機動隊だと。日本人の無責任さがここでも露呈している。

こういったことは松井知事は絶対に言わないけどね。こんな鈍感野郎が気がつくわけもないし。


詩人度
文月悠光|洗礼ダイアリー発売開始✿

うなぎ少女CMや辛萌動画、観ると不快な気持ちになるんだけど、正直日常生活でもこの手の気持ち悪さには心当たりがあって、言葉がない……。
昨日、仕事相手の男性にチラッと話したら「嫌な気持ちになるものは観ないようにしてる」って返されて、寂しい反面、まあそうなるよなあ、と。


同時代の社会状況にどれぐらい不愉快になるかでその詩人の詩人度が試されるんだけど詩人度が高い詩人ほど不愉快の度合いも高くなって結果耐えられなくなるがそこから逃げない詩人こそ詩人度の高い詩人なんだという矛盾を積極的に受け止めて社会に言葉でがんがんに攻めていけるのが真の詩人なんだということをこの詩人はわかっているのか。
悪夢の開始は
Huffington Post Japan:カーク・ダグラス「未来への道」

今、アメリカの多くの良識ある人が、ドナルド・トランプが大統領にならないことを祈っている。

この国に住みたいと求める人みんながみんな、この国にうまく同化できるとは限りません。この国で最も繁栄し、活躍しそうだと思う移民を選ぶのは、主権国家としての我々の権利です......すべての申請者に対して新しいスクリーニングテスト、これには、我々の国に入ってくることを我々が許す者たちが、我々の価値観を共有できると確認するために思想の証明書も含めるべき......


この凍りつくようなマニフェストは悪夢の序章に過ぎない。アメリカが悪夢を開始すれば世界中が開始する。この日本も。多くの人が人間として生まれたことの意味を失うのだ。

僕もトランプが大統領にならないことを強く祈る。たとえ悪夢の開始が遅れることになるだけだとしても。
崔実(チェシル)「ジニのパズル」
在日コリアンの少女ジニの物語。
北朝鮮の金父子の肖像がある朝鮮学校に違和感を感じつつ、日本人からは差別されるという複雑なパズルをどう解くか、その答えを探しつつ、そこからハワイの学校、オレゴン州の学校へと彷徨う。日本語と朝鮮語と英語の三つの言語と文化のはざまで答えを見つけようとする、非常に熱のある物語だ。その熱が空回りせず、しっかりと言葉に置き換えられ、希有な物語へと昇華した。

特に核となるのは中学一年の時の、テポドンが打ち上げられた日の池袋のゲームセンターで受けたヘイトクライム。圧巻だった。手に汗握って読んだ。傷害事件であり、はっきり強制猥褻と言っていいと思う。それをたった中学一年の少女が差別的な言説と共に受けるのだから。こんな卑劣なレイシストがこの世にいるんだ、という絶望感だけが立ち上がってくる。

どうせ国境なんかだれかの落書きだろう。

ジニはこう吐き捨てるように言う。これは名言。

これ以上ネタバレは書かないが、もうちょっとで芥川賞だったらしい。どうせなら受賞すればよかったのだが。そうなれば多くの日本人がこの小説を読むことになっただろうし、今でもぜひ読んでもらいたいと思う。

地べたをしっかりと這いずりまわった、地に足のついたリアルな、そして、民族問題にとどまらない普遍的な文学性をもつ、これは青春文学なのだろう。ぜひ映像化してほしい。
安全保障のグローバル化
危機の20年:北田暁大が聞く 第6回 ゲスト・小熊英二さん 安保法制抗議運動(その1)

小熊英二「貿易や安全保障の国際合意が優先され、国内民主主義が軽視されることも多くなった。」


つまり反安保運動というのは安全保障のグローバル化に対する反対運動、ともとれる。政府中枢が国際協力の名のもとに貿易や安全保障をグローバル化させていくことへの不満、日本国民が置いてかれるじゃないか、という不安感がうずまいている。それと単純な平和運動とか結び付いた結果だろうと思う。

しかし情報、物資などがこれだけグローバル化されていけば、政治やビジネスがグローバル化されるのはある程度仕方ない。政治やビジネスにおける国際協力と、個々の民族の独自文化を守る、というのとは分けて考えなければいけないはずだ。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。